会社方針
株式会社 第一産業社は物づくりを通じて世の中に貢献できる会社を目指しております。最高品質のタイヤ金型を最短納期で納められるように日々努力しております。
また、私たちは全員で5S活動を展開し自ら進んで挨拶をして公衆道徳を守り、社会の模範となるべく率先して行動で示していくよう努めております。
また、私たちは全員で5S活動を展開し自ら進んで挨拶をして公衆道徳を守り、社会の模範となるべく率先して行動で示していくよう努めております。
代表メッセージ
株式会社 第一産業社は1920年、大阪中央区にて
「金田兄弟商会」として金田利一が創立した会社です。
当初はタイヤ金型だけではなく、タイヤ生産に関するすべての設備を請け負い、多くのタイヤ会社にむけて製造して参りました。戦時中、国の認可工場として「大日本航空機金型」と会社名を変更し神戸市灘区で航空機タイヤ金型を中心に製造して参りました。
戦後、第一産業社となり主にタイヤ金型を中心に製造し、1964年に三代目社長、金田庄八郎によって株式会社となり1968年に神戸市東灘区魚崎の現在の場所に移転いたしました。
弊社は優れた技術で最高の品質のタイヤ金型を提供することを最大の使命と考え最先端技術を開発して参りました。1984年に現在の主流のセクショナルタイヤ金型の開発に成功し、1985年にはタイヤサイド部の文字彫刻を多軸マシニングセンタで加工する技術を開発し、その後もタイヤ金型の新工法を数々開発して参りました。現在は世界最大のタイヤ会社である株式会社 ブリヂストンの乗用車用タイヤ金型や二輪車用タイヤ金型を主に製造しており、複雑なサイド模様のタイヤ金型を短納期で完成できるよう日々努力しております。
弊社は2020年に創立100年を迎え100年企業の仲間入りをいたしました。
第一産業社はたくさんの人々に支えられて今日までやって参りました。これからも多くの人々から必要とされ
社会に貢献できる会社になれますよう日々感謝の気持ちを忘れず、努力して参る所存でございます。
2022年5月 ㈱第一産業社
代表取締役 金田庄一郎
会社沿革
1920年(大正8年) | 金田利一大阪市西区靫南通りにて金田兄弟商会を設立。 |
1923年頃(大正12年) | 日本ダンロップ、横浜ゴム、三ツ星調帯、ブリヂストン久留米工場等との取引を開始。 |
1932年(昭和7年) | 大阪市西区阿波堀通り5丁目へ移転する。 |
1941年(昭和16年) | 第二次世界大戦勃発で、有限会社大日本航空機タイヤ金型製造所と改名。
国の指定工場に認定される。 |
1944年(昭和19年) | 東洋ゴム、大津ゴムとの取引開始。神戸市灘区桜口町1丁目に自社工場を建てる。 |
1945年(昭和20年) | 空襲により大阪事務所、傘下の大阪、神戸の諸工場がすべて焼失するが自社工場のみ焼失をのがれる。 |
1946年(昭和21年) | 大阪市東区北久太郎町4丁目に大阪事務所を設置する。
並びに神戸市灘区の工場を再開し第一産業社として発足する。 中央ゴム、東洋ゴム、大津ゴム、三ツ星調帯の復興に協力する。 |
1950年(昭和25年) | 桜口工場を灘区徳井町4丁目に工場を新築し移転する。 |
1961年(昭和36年) | 株式会社 第一産業社として発足する。 |
1968年(昭和43年) | 神戸市東灘区魚崎浜町へ工場を移転する。 |
1980年(昭和55年) | 三重県桑名市に桑名工場設立 |
1982年(昭和57年) | アクロンスタンダード傘下のアートクラフト社よりマスターモデル製作の技術を購入。 |
1983年(昭和58年) | OKK横型マシニングセンタ MCH-800を導入しNC文字の加工を始める。 |
1985年(昭和60年) | 桑名工場を移転、四日市工場開設。 |
1995年(平成7年) | 阪神淡路大震災により会社は大きな被害を受ける。 |
1996年(平成8年) | 資本金を400万円から1200万円に増資。 |
1998年(平成10年) | ㈱ブリヂストンと取引を再開 |
2000年(平成12年) | ㈱第一産業社フランス事務所を開設。 |
2004年(平成16年) | 第1回5S委員会発足 |
2008年(平成20年) | ファスコ多軸文字加工機2台を導入し6台体制にする。 |
2015年(平成27年) | (株)ブリヂストンのタイヤ金型製作、改造をメインとする会社に再構築する。 |
2020年(令和2年) | 創立100年を迎える。 |